太田衣のエッセイ

男性です。ほろよいに任せた雑談、日記、思っていること。古の記憶の発掘。記事内にプロモーションが含まれることがあります

芸術の秋

 前から暖めていたというか、つまらないネタだったんでボツにしていたんだけれども、芸術の秋ということで紹介します。というか、小説は芸術かしら?言語芸術?

 

 国木田独歩って知っていますか?明治期の文豪らしいです。地位的なものはあまりよくわかりません。高校の日本史では「国木田独歩自然主義牛肉と馬鈴薯」くらいな認識でした。この国木田独歩さんの記念碑が僕の地元の図書館の敷地内にあります。以下のようなことが書いてあります。

 


国木田独歩

明治30年(1897)みぞれまじりの春に、国木田独歩溝の口を訪れたとき、当時旅館であった溝の口の亀屋に一泊しました。このことは独歩の作品「忘れ得ぬ人々」のモデルとなり、この作品によって明治文壇に不動の地位を築きました。独歩と亀屋の関係を後世に記念するため、当時の亀屋の主人、鈴木久吉が建碑を計画しましたが、志半ばで世を去りました。彼の友達が意思を継ぎ、独歩27回忌を記念し昭和9年(1934)夏、亀屋の前に碑を建てました。
題字は島崎藤村が書いたものです。

 まぁ、こんな文は地元人の自己満足だからどうでもいいのです。ただ、「忘れえぬ人々」をあわせて読むと、こんなさびれた記念碑もすこしは楽しめるのではと思います。

<<「忘れ得ぬ人々」>>


吼えるような声で主人は叫んだ・・・主人の言葉は愛想があっても一体の風つきはきわめて無愛嬌である。・・・太った体の上に綿の多い半纏を着ているので肩からじきに太い頭が出て・・・気難しい・・・客へは何の挨拶もしない・・・

 ひどい描写でしょ?この主人が最後、主人公にとって「忘れえぬ人」として紹介されるんです。主人公は、「忘れえぬ人々」を「感謝していたり、仲が良いわけでもないのに、なんとなく記憶に残っている人物」と定義しています。

 つまり、主人公の記憶になんとなく残っているのは、この描写の通りのひどい自分。感謝もされていない。それなのに、独歩の碑文を立てたくなる心。主人公が記憶に残すだけあって、文学的ななにかを持っている主人だったんだなとは思います。

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