太田衣のエッセイ

男性です。ほろよいに任せた雑談、日記、思っていること。古の記憶の発掘。記事内にプロモーションが含まれることがあります

課金する:意味の転換と言葉の使い方

 ヤフーニュースのコメント欄をみていた。

 

 『課金する』という言葉。「ゲーム、サービスに料金を支払うこと」という意味で使われることに対して、違和感をもつ人は今も一定数いるらしいね。ほんとにね。使い慣れた言葉、愛着のある言葉が別の意味になっちゃって使いづらくなるとか、なかなかつまらんこと。わかる。イラっとするしね。

 

 でもさ、「課金する」という名詞を本来の意味だという「代金を請求する」みたいな意味で使っている人/使っていた人。誤用だとされる使い方されるより前から、日常的に使っていた人、どれだけいたんだろうなあってのは気になってしまうよね。(多用してた人、多用してた場面など知っていたらおしえて!!)

 

 たとえばね。僕だったら、「近(ちか)しい」にたまにモヤっとするよ。「近(ちか)しい」ってさ、本来はほとんど「親(した)しい」みたいな意味なんだけど、最近「近い」みたいな意味で使われることも多くてね。ほんとモヤる。「近い」のほうが1文字すくないし、普通に意味伝わるし、時短になってええじゃん。なんで「か」をいれた!?なんで「親しい」って意味の「近しい」殺しにきたん?ってなる。だから、「課金する」にイラっとしている、モヤっとしている人の気持ち、僕もとってもわかるんだよ。わかるんだけどね。

 

 でもさ、ごめん。「課金する」に関しては。僕は大人になってお金を使うようになったときには、料金を支払う方の誤用といわれてるほうの意味で使われてたんよね。だから、「課金する」を「請求する」みたいな意味でつかっていた人達、イラっとさせてきたと思う。すまん、ごめんよ。ゆるして。

 

 そうね。個人的感覚では、「課金する」っていう言葉。2000年代後半~2010年代前半くらいから、特に基本無料のゲームにお金を支払う、という意味で使われはじめたように思う。そして、もうひとつ思った。それより前の時代、ほんとうに「代金を請求する」という意味で「課金する」が、広く使われていたのだろうかね?ってこと。

 

 「課金する」って言葉を「料金を支払う」っていう意味で使うようになってから、本来の意味だという場面で使われてる「課金する」っていう場面、「誤用じゃ!誤用じゃ!みたいな」なヤフコメみたいなところ以外で見たことないんよな・・・。ほんとうに誤用なのかなあ?本当に「課金する」っていう言葉、一般的に使われていたのかなあ。自分の観測範囲の中だけの話だけど、「課金する」を「請求する」みたいな意味で使われてる場面、これまでの人生で、まったくであったことないんだよな・・・。本当に狭い僕の観測範囲内でのことなんだけどさ。

 

 「支払う」意味での「課金する」がぜんぜん使われてなくて、本来の意味の「課金する」が使われていたかもしれない時代があったとするよ。「課金する」の使い方に違和感がある人一定するいるから、きっとあるんだろう。それにさ、僕はけっこう子供だったから、本当のところはわからないんよ。わからないんだけどさ、わからないからこそ、あくまでも、言葉の印象からうけるイメージなんだけど。「課する」という言葉。結構、暴力的というか、結構、力強い言葉だと思うんです。僕なら相手に少しでも好印象を持たれたいと思ったところ絶対に選択しない言葉。そう。「課する」っていう言葉、辞書的には「義務や負担を与える」という意味なんよな・・・。かなり相手を殴りにかかってる言葉だよな、こいつ。

 

 物やサービスをビジネスで売っているような取引相手の印象を重要視しそうな営業や接客の人たち。そんな人たちが、相手に暴力をふるって不快感を与えるような言葉選びを、本当に、本当にするんだろうかね?ぼくは疑問におもうよ。もし、そういう言葉遣いしていたとしたら本当に不思議な言葉選びだし、淘汰されるべきなキツい言葉だと思うよ。課金する‼ってほぼ「罰金でーす」みたいなことだもんな。もしね、もし、そういう言葉遣いが当たり前の世相があったとしたら。あったとしたら、商慣習みたいなねちっこいやつなんだろう。

 

 商慣習ってやつ結構強固でさ。逆に、仮に「課金する」って言葉遣いが商慣習だっとしたら、ぽっとでの新語にたやすく負けてるようなこと、あんまり想像できないわけ。根強く残るからこその慣習なわけだしね。

 

 たとえば。たとえばさ、ビジネスじゃなくて公益みたいなことを目的にしているNHKでさえ、課金するじゃなくて、「集金する」とか、そういう「課金する」よりちょっとまろやかな言葉をつかっている(いた)よなあ。「ピンポーン!課金しにきました!(金銭的な負担と義務を与えに来ました!)」とか、ガンジーが助走をつけて殴るみたいな面白さあって、ほんとうに「課金する」なんて暴力的な言葉、相手に代金を請求する意味で、一般的に使われてたのかなあ?っていう疑問はほんとある。支払うほうの意味で「課金する」が使われだして、「いまからあなたに負荷と義務をあたえます!」なんてニュアンスの暴力的な言葉が、接客の場面で使われなくなったんだとしたなら、逆にめっちゃいいことだと思う。いまはカスハラなんていうけど、まだまだ、よくわからん不動産投資の営業電話とか、出所のわからんインターネットの営業とか、ガンガンかかってくるもん。接客、営業勢からの攻勢、カスタマーのメンタル面に考慮したら弱まるにこしたことはないよ、ほんとに。

 

 それに。それにまた別の観点で疑問があるんよ。それにさ、「課金する」について、誤用だ警察さんたち、本当に、お前らつかってたん?っていう疑問とは別に、もう一個、はてな?に思うところがあるんよね。もし、誤用ではない「請求する」意味での「課金する」が広く使われていたとする。でもさ、「課金」って、「課する」ところ、つまり「請求する」までの意味だったよな。

 

 だから、相手から代金を回収するフェイズは含まない。料金の請求段階までをあらわすとこだけを抽出したのが本来の意味。だからさ、主客逆転した反対の意味の言葉だとしたら、「課金を受領する」みたいな言葉遣いが主客逆転した本当の対義語ではないの?よくいわれる「納金する」は請求フェイズじゃなくて、代金の授受フェイズの言葉だから、ぜんぜん対義語っていう言葉に思えないんよね・・・。フェイズがぜんぜん違う、「課金」と「納金」まったく別の言葉なイメージあるんだけど、ほんとうに対義なんだろうかね?「販売する」の対義語が「購入する」はわかる。けどさ、最低でも「課金する」の対義は「納金する」ではないっしょ。あくまで「相手に金銭を要求する」っていう言葉なんだから、反対の言葉は、「要求を呑む」であって、実際の金銭のやり取りの「納金する」は「課金する」の対義語ではないと思うわけ。

 

 僕の価値観や観測範囲の中という極めて狭い世界の中ででいうとね、「課金する」は、これまで使われていた伝統的な言葉ではなくて、「名詞+する」の構文でつくられた新語では?という感じなんよな。たとえばね。おっさんしか使わない死語かもわからんけど「お茶する」って「カフェやファーストフード店で歓談する」って意味じゃん。「お茶を飲む」という意味は全然なくて、コーラとかアイスコーヒーを飲みながら、もしくはパフェ食いながら雑談するのが「お茶する」って意味よね。「課金する」も似た感じな印象をもっているんよね。これまで名前がつけてこられなかった概念にたいして「名詞+する」の構文で作成された新語という区分の言葉というのが僕の印象。意味的に説明するのであれば、単に有料の商品に料金を支払う言葉ではなく、無料でも別にいいところに、わざわざ自分に金銭的負担をかけることによって満足感を得ること。己に金銭的負荷を課すという意味で「課金」+「する」っていう構文で、受け入れられてきたのが「課金する」って言葉なのだと思っている。

 

 ぐだったわ。まとめると「課金する」を「請求する」の意味でつかっていて「請求する」とは微妙なニュアンスの違いまで考慮して使いこなしていた人!その人は「課金する」を「ゲームに料金を支払う」やつらに殴り掛かってくれ、というか、僕も普通に課金するを料金を支払う意味でつかうから殴り掛かってきてください。頬なぐられて血反吐はいて、ごめんつかあさいっていう。ほんとに。ごめん。

 

 でもさ、「課金する」を「請求する」の意味で使ってない人達は、世の中に不満があるんだろうなあ。なんか、ストレス感じて、殴れるとこなぐっておきたいんだろうなあ、って印象あるよ。まぁ、理論的にはなぐりやすいところではあるおもうよ。でも、まぁ、相手にダメージはいるかっていうと、もう「課金する」を「請求する」意味でつかってる人、ぜんぜんおらん感じするし、逆に「課金する」を利用料を支払う意味で使ってる人、無数にいる感じするから、まったくのれんに腕押し、っていう感じはあるよね。その振り上げた腕、おろしたほうが身のため、心のためでは?って思うんだよね。まぁ、本当に「課金する」につよい思い入れある人なら、モヤってしょうがないと思うし、いろんなところで遺憾を表明して逆転を狙ってみるのもいいと思いますけどね。その労力に見合うだけの効果があるかは、とっても疑問なのだけど。おやすみ~~