太田衣のエッセイ

男性です。ほろよいに任せた雑談、日記、思っていること。古の記憶の発掘。記事内にプロモーションが含まれることがあります

プレッシャー世代

 エンタメが発達した時代の子ども

 氷河期世代ゆとり世代の間の1982年から1987年に生まれた世代のことを、
プレッシャー世代というらしいが、自分はここの世代にあたるらしい。

 

 プレッシャー世代の由来はというと、バブル後の不景気、1990年代中頃の自然災害・テロ事件、インターネットバブル崩壊など、多くの社会の変動にともなうプレッシャーを経験していて、プレッシャーに強いからだとかなんとか。

 

 当事者の一人である自分としては、1995年の自然災害・テロ事件、9.11などなどの、暴力的な事件に関しては、幼少期、少年期、ニュースで連日報道されており、たしかに印象が深いのだけれど、世代を問わずに印象深い出来事なのでは?と思ってしまう。親のほうが熱心にニュースをみていたし。わたくしごとというより、全体ごとというイメージのある出来事たちであったから、とくに、強く影響を受けているという感覚はない。


 僕達が子どもだったときに、すでに大人になっていた世代には印象深いだろう、細川さんや村山さんが総理大臣であった時代。細川さんの印象は、やさしそうなおじさん。村山さんの印象は、おもろいおじいさんという感じで。政治・経済面でも、とくにプレッシャーや社会の大きな変革を感じるようなことはなかった。個人的に感受性や知性が低かっただけだったり、政権交代に影響のあまりない家庭だったというだけなんだろうけれど。


 リーマンショックから始まる不景気に伴う、内定切りなどは、特定の世代を直撃した事象だと思うのだけど、これでさえ、ゆとりの第一世代に直撃したものであって。プレッシャー世代といわれる人たちが新卒の就職活動しているころはしばらく好景気だったから、周辺に個人的問題以外の世相的な就職難を聞いたこともそれほどなく・・・。


 プレッシャー世代は、むしろ、プレッシャーなどというストレスを感じていた、ということとは正反対に、就職氷河期やらゆとり教育などなど、特定の世代を狙い撃ちするような社会の変動をうまくかい潜った、ぬくぬく、のびのびと育った世代であるような気がする。

 

 インターネットに対して、インターネットバブル崩壊が物心つくかつかないかの頃だったこともあり、ネガティブイメージがあまりない。代わりにケータイ、スマホなどの普及に伴って、どんどんインターネットが普及していっていって、世界が広がり、社会がどんどん進歩・成長している感じを日々感じていし、さらに親世代がインターネットやパソコンとの関わり方であたふたしていたため、親世代にインターネットやパソコンを教えるという場面も多く。自尊心も傷つくようなこともなかった。

 

 エンタメ分野でも、毎年のように新しいゲームハードが発売されて、漫画、アニメ、アイドル等のオタク文化も、秋葉原を中心に花開いて。ほんとうに、わくわくばかりしていて楽しかった子ども時代だったような感覚はある。

 

 自分は、心穏やかで楽しいくノーテンキな子ども時代を過ごした。だからプレッシャー世代という言葉には、あんまり、ピンとこなかったりもするんですよね。

 

 プレッシャー世代というピンとこない言葉とは裏腹に。心の奥底でひっかかっていたのは、「キレる17歳」という世代を表した言葉。プレッシャー世代の人が社会的に影響が大きい事件をいくつか起こしていたことから、プレッシャー世代をキレる若者たちなどと称する場面が多くあったんですよね。

 

 中でもバスジャック事件やパソコン遠隔操作事件に関しては、インターネットの発展に伴う社会の変化の負の側面も大きいため、世代を表す言葉として「キレる17歳」という言葉は、たしかにそういうこともあるのか。と納得して受け入れている側面もあった。

 

 だけど、なんとなく受け入れてしまっていた世代評である「キレる」世代という言葉でさえ、これでさえも大人になってから、諫山創さんというキレッキレな変態的天才が頭角を現してくれて、「キレる」世代という意味合いが中和され、自分の中でとくに引っかることもなくなったよ。

 

 

 とはいえ、ぬるま湯世代であり、自分が属する世代がそういう世代であるという自覚はあるのだけれど。あるんだけれどもね。〇〇世代などというものは、結局、コミュニケーションコストを軽減するためのレッテル貼りか、もしくは、マーケティングのために、集団を大まかに捉えた「傾向」程度の意味であって、まったくもって、帰属意識をもったとして、よいことはなんもないやつではあるんよね。

 

 どの世代にも、キレる人はいるし、親などの教育方針によって、ゆとりをもった教育を受けた人もいる。新卒就職のタイミングで苦労した人もいる。自分も、社会的な事件や災害というよりも、個人的能力の低さ、劣等感から、プレッシャー、ストレスは常に感じている。世代を表す言葉としてのプレッシャー世代というのは「どうなのかなあ」とは思うのだけど、個人的な性質しては、プレッシャーはめっちゃ感じていて、生きるのに精一杯であったりはしてはいるよ。

 

 おやすみ~。