わたしの少年時代には、まだ毛筆がきの手紙は普通だった。帳簿も筆でつけている人が少なくなかった。この伝統は、履歴書をかくときにかろうじてのこっている。(梅棹忠夫「知的生産の技術」岩波新書(1969)より)
たまには社会派っぽいことも書いてみる。生成AI関連の技術の進歩によって、イラストを描くであったり、プログラミングをするだとかそういう仕事がなくなるのでは?といった話を最近よく耳にする。
こういう話を耳にしたとき、連想するのが、ボールペンや活字の登場・普及によって、だれもが毛筆を日常的に使うということが極端に減ったこと。冒頭の引用は、毛筆から活字への移行期の様子について記されたものだ。初版が1969年の本だから、その頃の様子ということになる。このときから50年以上たった現代であっても、書道家はいなくはなってないし、習字の授業も残っているし、書き初めの文化も残っている。もちろん、手紙や公文書の毛筆による代筆業など、ボールペンや活字の普及で極端にへった仕事もあるだろうが、書道家や習字の先生、師範とよばれる人たちも、毛筆で食べているといえるから、仕事としても消滅してはいない。
毛筆周りの変遷から考えるに、イラスト描きやプログラミングという人間の作業は、創造的・知的な所作として、数十年のスパンでなくならないと予想する。ただし、「業」としての仕事はかなり減り「道」としての在り方で。
技術の進歩は目まぐるしく、とくに情報技術というものは、毛筆から活字へと移行していった時代と比較にならないほどの変化のスピードだから、イラスト作成、プログラミングが人間の手によって行われる機会など、一瞬で消滅するんじゃないかと予測する人もいる。
しかし、こういった創造的・知的な所作の淘汰の早さというものは、技術の進歩ではなく、人間の世代交代と連動している。「業」としてイラストを描いていた人、プログラミングをしていた人たちのうち、熱意のある一部の人がそれを「道」へと移行させ、伝統技術の伝承として、次の世代に受け継ぐ、もしくは、後継者がいなくなる。そういったスピード感のもと、ゆっくりと、人類にとって、淘汰されるべき所作なのか、残すべき所作なのか、判断されていくのだろうなと。遺伝子操作などが早急に人類に適用されて世代交代のスピードまで爆速になったらまた話は別だけれども。
だから、自己表現、自己実現のためにイラストを描くような、あるいは、数学分野で計算機を使うであったり、マリオメーカー上でプログラミングするような、すでに「業」ではなく「道」を歩むようにこれらを嗜んでいる人たちは、生成AIの発展に関してあまり心配しなくて大丈夫だし、実際のところ、まったく心配もしていないと思う。
道を切り開くのはなにも最新の技術だけではないのよな。