太田衣のエッセイ

男性です。ほろよいに任せた雑談、日記、思っていること。古の記憶の発掘。記事内にプロモーションが含まれることがあります

推し活、オタ活と鎌倉仏教

 今日は、前から見よう見ようと思っていた『Re:ゼロから始める異世界生活』(リゼロ)のアニメの3期をみながら晩酌をしておりますよ。本作の中では、ベアトリスという嬢様系の見た目の女の子キャラクターが好きなのですが、今のところ、相変わらずとってもいい感じに動いていて、とってもいい気分でほろよいになっていますよ。さてさて。

 

 

 以前からたまーに思っていたんですが、漫画やアニメ、ライトノベルあたりのエンタメの楽しみ方の流派の別れ方が、高校時代に日本史のお勉強でかじった程度の知識ではあるんですが、鎌倉仏教の分類に似ているなぁと。


 本編やキャラクターが好きで、本編のアニメや漫画を鑑賞したり、フィギュアをコレクションしたりして楽しんでいる人がいますよね。こういった人たちの、アニメ作品や漫画作品とのふれあい方は、阿弥陀如来大日如来などをご本尊として扱っている宗派と似ている気がする。かなり一般的なエンタメの楽しみかたのため、浄土宗、真宗系統のお寺の現存数がとっても多いところもにているところだと思う。作者や声優などが好きで、作者のコメントやインタビュー、他作品、イラスト集などを鑑賞して楽しんでいる人たちは、釈迦如来をご本尊として扱っている宗派の人たちの仏教への触れ方と似ているきがする。

 

 考察が好きな人たちは、本編が下敷きにしている神話や創作、意匠まで遡って鑑賞し、本編には描かれていない、もしくは、匂わせ程度で省略されている背景や設定まで深く理解しようとして楽しんでいる。法華経を重視している法華宗日蓮宗ににている。考察が好きな人たちの間では議論も活発で、「これを下敷きにしているという説はこじつけである」とか「これは納得がいく考察だ」だとか、やってるんですよね。そういうところもなんか似ていると思う。

 この似ているところから思うのは、古代の人々にとって、鎌倉仏教の教えというのは救いでもあったのだろうけど、現在のアニメや漫画のように、生活の潤いであり、エンタメでもあったんだろうなぁということ。それとまた逆に、現代人にとっても、エンタメ作品は生活の潤いでもあるのだろうけれど、先行きの不安や現状への不満をいっときでも忘れさせてくれるような、救いでもあるんだろうなぁ。

 

 かくいう自分のアニメの楽しみ方はといえば、焼酎で酔っ払って、ぼんやりと本編を流し見する感じ。末法思想な流派で楽しんでおります。今年も、評判が良さそうなものから何作品かアニメを、お酒のお供に楽しめたらなぁと思ってます。

 

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